2011年9月30日金曜日

村下孝蔵さん 初恋

数年前に実家の母を連れて下呂温泉に行ったことがあります。

わが家の娘たち、妹と姪と実家の母と私で女ばかりの6人旅でした。実家の父が亡くなった翌年から開始しました。夫に先立たれた母を少しでも楽しませてやりたくて企画しました。

その年は「近場でのんびり」がテーマでした。下呂温泉には水明館というりっぱな温泉旅館がありますが、若い娘や姪も一緒なので「紗々羅」という女性好みのアンティークなお宿に泊まることにしました。「紗々羅」は客室もこだわりがあって、娘たちの部屋は「2人のバラード」というモダンな部屋でした。

当日は雨模様で下呂の街を散策するのも難しく、お宿でゆっくりしようということになりました。美味しい食事の後、旅館内のカラオケルームを見つけた娘たちからせがまれて、みんなでカラオケに行くことになりました。母は疲れたのでパスしましたが、妹は初めてのカラオケに興味津々でした。

妹はどちらかと言えば、おとなしく控えめな性格なので、わが家の娘たちや自分の子どもの歌声に合わせて口ずさみながら楽しんでいました。娘たちに「おばちゃんもどう?」と勧められると、村下孝蔵さんの「初恋」をリクエストしました。

妹は「みんなも一緒に歌ってね。」と言い置いてマイクを握りました。



私は村下さんの歌はあまりよく知らなかったのですが、とてもいい歌でした。寂しい夜に一人で聴いていると泣きたくなるような歌だと思います。なによりも日本語の歌詞が美しいのです。じっくり詩を味わいながら聴く歌だと思います。 

妹にもこの歌のような切ない初恋の思い出があったのでしょう。

私の初カラオケの「思い出の九十九里浜 」と同様に妹の初カラオケの「初恋」も忘れられない歌です。

2011年9月29日木曜日

イタリア旅行 バチカン市国

イタリア旅行記も残すはバチカンだけになったのですが、思うようにアップできずにいます。

帰国直後は、時系列にアップしていこうと張り切っていたのですが、あと少しというところでちょっと息切れがしてきました。感動が薄れないうちに一気にまとめておくべしでした。

というわけでひとまず区切りをつけようと最後の観光地バチカン市国を簡単に紹介します。



世界最小の国家バチカン市国です。広さはディズニーランドくらいで、人口は800人程だそうです。広いサン・ピエトロ広場です。正面にはクーポラのあるサン・ピエトロ大聖堂が見えます。フィレンツェの花の大聖堂のクーポラも見事でしたが、ここもまた格調高くて美しい姿です。この大聖堂の奥にミケランジェロの天井画で有名なシスティーナ礼拝堂があります。



サン・ピエトロ大聖堂の通路です。豪華絢爛でさすがカトリックの総本山です。



クーポラの内部です。天井から柱からどこをみても素晴らしい装飾がされているので、首が痛くなってきます。



サン・ピエトロ大聖堂の中には、ミケランジェロの名作 「ピエタ(悲しみの聖母)」がありました。ミケランジェロの彫刻の中でもダビデ像と並んで最高傑作なのだそうです。



サン・ピエトロ大聖堂を守っているスイス人衛兵です。ミケランジェロがデザインしたと言われる制服で身を包んでいます。お洒落な制服です。左側の衛兵が持っている槍がちょっと怖いです。

この日の午後、帰国の途につく私たちですが、最後の最後まで素晴らしい建造物や美術品に圧倒されました。イタリアを訪れてみて思ったことは、どの街も歴史的な建物や遺跡を大切に保存していることです。それぞれの街に広場があり、聖堂や鐘楼があり、遺跡があります。人々はそれらの保護を自分たちの使命だと考えているのではないかと思います。国家の歴史の違いを感じます。

2011年9月28日水曜日

ネロと燕山君

世界史の中で暴君と言われているのは、キリスト教徒を迫害した古代ローマの皇帝ネロだと思います。

世界史に興味がない人でも「ネロ」の名前は知っていると思われます。

キリスト教徒は、古代ローマ帝国の迫害から逃れるためにあのトルコのカッパドキアの奇岩の洞窟に移り住み、密かに教会を造っていました。



洞窟内の教会の壁画は、歴史的に貴重な資料なので写真撮影は禁止されていました。狭苦しくて息が詰まりそうな洞窟の生活でも信仰心だけは持ち続けていたわけです。

話は変わるのですが、韓国の歴史ドラマをみていると、韓国にも暴君が存在していたことがわかりました。朝鮮王朝第10代国王燕山君(ヨンサングン)です。朝鮮王朝史上前例のない暴君だと言われているそうです。

「チャングムの誓い」「王と私」そして今視聴中の「王と妃」をみるとようやく時代背景がわかってきました。燕山君の母親である王妃の性格がわがままで嫉妬深いとの理由で、廃位にされた後、毒殺されたことを王位に就いた燕山君が知ることになりました。亡き父王の命によってその事実は封印されてきたのですが、ついに全貌を知った燕山君は極悪かつ冷酷非情な君主へと変貌していきます。


今日の「王と妃」では、狂気にみちた燕山君が暴君となって母親の復讐を企て始めたところでした。その境遇は可哀相ではありますが、殺戮を重ねていく姿に背筋が寒くなります。

燕山君は後の世で、自分の国のみならず日本人にまで自分の暴君ぶりが知れ渡るとは想像もしなかったでしょう。

2011年9月27日火曜日

思い出の九十九里浜

昨日、YouTubeで「二人の銀座」を聴いていると、いろいろ懐かしい曲がアップされていたのでついいろいろ聴いてしまいました。

「思い出の九十九里浜 」 がありました。

この曲は私が初めて娘たちとカラオケに行った時にみんなで歌った曲です。

わが家の娘たちは同世代の友だちに比べ、親の干渉を強く受けて育ったように思います。子どもたちには窮屈な思いもさせたかもしれませんが、真剣に子どものことを考えて接してきたつもりです。ポケベルや携帯電話、友だち同士のカラオケ、プリクラなど人よりも遅れをとりながらそれらの機会を獲得してきました。

友だち同士のカラオケがようやく許され、カラオケの楽しさに目覚めた娘たちは行きたくてしかたがなかったようで、ある日、女三人で行こうという話になりました。

娘たちは慣れた様子でカラオケ店に入って行き、初めて足を踏み入れる私は二人の後にオドオド続きました。部屋に入ると、次から次へと曲を予約して、自分の曲が流れると熱唱し始めました。

「お母さんは何にする?」と思い出したように気遣ってくれるのですが、突然言われても思い浮かびませんし、場の雰囲気に合った流行の歌も知りません。まごついていると「思い出の九十九里浜 を一緒に歌おうよ。」と言ってくれました。

娘たちと一緒に歌ったこの歌が大好きです。

2011年9月26日月曜日

山内賢さん 二人の銀座

俳優の山内賢さんの訃報を知りました。

山内さんと言えば「二人の銀座」です。この歌がヒットした頃は、私はまだ子どもで歌詞にあるペーブメントの意味も知りませんでした。銀座とかみゆき通り、すずらん通り、ペーブメントなどの言葉に憧れのような気持ちを抱いた覚えがあります。

娘が社会人になり、職場が銀座になったときは本当に嬉しく思いました。娘の案内で銀座に行く機会がありました。銀座を歩きながらこれが俗にいう銀ブラだと思い何だかはしゃいだ気分になりました。その時に自分が持っていたあの銀座のイメージが大きく崩れました。

「二人の銀座」とか「銀座の恋の物語」で歌われていたような銀座ではなく、高級ブランドのショップが建ち並び、デパートもただの三越ではなく、銀座という名前が頭についただけで敷居が高いような銀座三越、銀座松屋などがありました。



「二人の銀座」です。歌い方がとても真面目な感じです。山内さんは、小栗旬さんやスケートの小塚選手のような顔立ちだったような覚えがあります。デュエットのお相手の和泉雅子さんの歌声は清楚で可愛らしい感じです。後に、和泉さんは、女性で初めて徒歩で北極点に到達されました。人に歴史ありですね。

今朝から何回もこの「二人の銀座」を聴いています。永六輔さんの作詞で、ザ・ベンチャーズの作曲だったことを今日初めて知りました。

山内賢さんのご冥福をお祈りします。

2011年9月25日日曜日

イタリア旅行 薔薇

イタリア旅行のツアーのメンバーには新婚さんが何組もいました。

旅行の日程が進むにつれて、彼らとも話す機会が増えていきました。

最初の頃は、年代も違いますし、私たちから積極的に話しかけるのもはばかられましたが、食事のテーブルが一緒になったときなど、親しく会話を交わすようになり、次第に彼らの人柄もわかってきて、会話が弾むことも多くなっていきました。

今回のツアーのメンバーは、遠方から参加している人も多く、旭川の新婚さん、秋田の新婚さん、福島の新婚さん、横浜の新婚さんといった具合でした。

福島から参加していた新婚さんのご主人はとても愉快な人でした。お酒が好きで飲むほどに周囲の人たちを笑わせていました。おとなしそうな奥さんは、手を焼いているようにみえましたが、よく見ると時折、ビシッと手綱を締めていました。

フィレンツェの夕食の時、彼らとは離れて座っていたのですが、なにやら盛り上がっている気配がしてきました。レストランに花売りの男性が入ってきて、福島の彼に薔薇の花を売ろうとしているようでした。結局、彼は奥さんのために薔薇を一本買うことになってしまいました。

後で聞いたのですが、彼には何が何だか事情がわからずに、薔薇の花をプレゼントされたのかと思ったそうです。翌日の朝食の時、昨夜の薔薇を持ってきて奥さんのテーブルの前に捧げていました。



この新婚旅行のエピソードを奥さんは一生忘れないことと思います。若いって素晴らしいことだと思います。

2011年9月24日土曜日

カプリ島 青の洞窟

前回娘ときたイタリア旅行は、ミラノからローマまでで、ナポリはツアー内容に含まれていなかったので、今回のカプリ島の青の洞窟は、非常に楽しみにしていました。何しろ「ナポリを見てから死ね」と言われるほどの美しい景色が広がっているはずです。早朝からワクワクしてバスに乗り込みました。



ナポリに到着しました。



ここからは高速船に乗ります。バスから乗り場まで駆け足に近い状態で進んで行った甲斐があり、当初の予定より早い時間の高速船に乗れそうです。



高速船に乗ってカプリ島に向かいます。青の洞窟にはその日の波の状況で入場できるか否か決まります。この時点ではガイドの方も添乗員さんもわからないのだそうです。とにかく一刻も早くカプリ島に向かわなければなりません。

45分後、カプリ島に到着し、船を降りようとすると、衝撃のアナウンスが入りました。波が高くて洞窟には入場できないとのことでした。本来ならば手漕ぎボートで洞窟の狭い入り口をくぐって、神秘的な世界を体験するはずでした。



入り口は狭く、波ですっかり閉ざされています。残念でしたが、目の前に広がっている海の色もまた青く美しかったのでひとまず満足しました。

帰国後、青の洞窟に実際に入場した友だちにその話をすると、外の青と洞窟内の青はまったく違うと言っていました。



YouTubeに動画がありました。8月の入場確率は70パーセントらしいのですが、残念ながら30パーセント組に入ってしまいました。青の洞窟入場からカプリ島観光に予定が変更しました。広場からバスに乗って島で一番高い所にあるアナカプリからナポリ湾の美しい景色を眺めることになりました。



リフトに乗って向かいます。



眼下に美しいナポリ湾と白い街が見えます。青の洞窟は次回のお楽しみにとっておきます。

2011年9月23日金曜日

秋の七草

私がブログのネタに困ったときによく開く本「おうち歳時記」によれば、春の七草は食べて無病息災を願うもの、秋の七草は眺めて目で楽しむものと書かれています。

先日、義母から秋の七草について聞かれました。七つのうちいくつか思い出せないとのことでした。早速、ネットで調べてみました。

おみなえし、ススキ、ききょう、なでしこ、ふじばかま、くず、はぎの七つです。親切なサイトで覚え方が紹介してありました。「お好きな服は?」と覚えればいいそうです。これは覚えやすいですね。


撫子ジャパンですっかり有名になった撫子も秋の七草だったのですね。撫子ジャパンの選手たちは力強く、とても頼もしいですが、撫子の花言葉は「純愛」だそうです。

台風が去って、突然、秋がやってきたような1日でした。

2011年9月22日木曜日

ローマ アッピア街道

ローマからナポリに向かう途中、車窓からアッピア街道が見えました。

アッピア街道は古代ローマ時代に軍事目的に建設された道路です。

ローマの英雄たちが、戦地に赴くときや勝利を収め、戦利品とともにローマに凱旋するときにこの道を通ったと思われます。



アッピア街道は軍隊の迅速な移動を目的としていたので、カーブがなく真っ直ぐローマへと続いています。あの「すべての道はローマへ通ず」の言葉が思い出されます。道には「地中海松」と呼ばれる松が続いています。日本の松のように枝が右へ左へと伸びていません。

以前見たテレビ番組で、このアッピア街道の轍の幅と現在の鉄道のレールの幅が同じだと言っていました。紀元前312年に建設された道が現在の鉄道に影響を及ぼしているなんて驚きです。



アッピア街道は石や砂利を敷き詰め、傾斜を作り、排水がスムーズに行えるように工夫されていたとのことです。日本は弥生時代だというのに古代ローマは素晴らしい建設技術を持っていたことがわかります。


こんな現地のツアーがあるのですね。時間と経済的な余裕と体力があれば参加してみたいものです。

2011年9月21日水曜日

ローマ カンツォーネディナー

ローマ初日の夜は、カンツォーネを聞きながら、イタリア料理を頂きました。こういう食事の形は本当に楽しみです。昨年のトルコでは食事をしながらベリーダンスのショーを見ました。楽しかったです。



サービス精神旺盛な男性歌手です。日本人に馴染みのある「サンタ・ルチア」を声量豊かに歌い上げてくれました。



女性歌手です。カンツォーネを聞きながらディナーを頂くなんて至福のひとときです。



ピアノ伴奏の女性も歌を盛り上げていました。懐かしい映画「ある愛の詩」のテーマ曲を弾いてくれました。大学に入学したとき、英語の授業で「ある愛の詩」のテキストを使った記憶があります。哀愁を帯びた旋律が心に染みました。



白身魚と海老のグリルです。美味しく頂きました。



食事の後は、バチカン市国のそばのホテルに向かいました。車窓からライトアップされたサン・ピエトロ広場が見えました。ここは帰国日の午前中に観光する予定で、明朝は早起きしてカプリ島観光に向かいます。早く出発しなければならないので、ゆっくりレストランで朝食をとるわけにもいかず、ホテルで用意されたお弁当を食べて出発です。



早起きがニガテな私としては緊張してベッドに入りました。

2011年9月20日火曜日

海外から帰ってきてホッとした瞬間

gooランキングでこんな記事を見つけました。


海外から帰ってきてホッとしたランキングです。1位は日本食を食べたときです。よくわかります。わが家は今年も昨年も成田から海外にでかけました。

昨年はトルコでした。トルコ料理は世界三大料理と言われていますが、わが家的には大感激とまではいきませんでした。旅行中、異国の香辛料や調味料、具材で作られたお料理を頂いていると、旅の終わりには、和風だしやお醤油が恋しくなります。

成田に着き、国内便に乗り換えるまでにかなり時間があるので、食事をしたり、お茶を飲んだりして過ごします。その時はやはり和食のお店にはいりたくなります。和風だしのきいたかけそばなんて最高です。

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これはその時に夫が注文した、おそばとミニカツ丼です。

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私はかき揚げ丼のセットです。庶民的なおそば屋さんですが、当たり前のように出てくる冷たいお水やお茶のサービスも嬉しいですし、慣れ親しんだお醤油の味も最高です。

本当にホッとできるひとときです。

2011年9月19日月曜日

イタリア トレビの泉

トレビの泉にやってきました。

噴水を背にして、右手で左肩越しに投げ入れるのが正しい姿勢だということで早速やってみました。コイン1枚を投げると、ローマに再び来ることができるという伝説が有名ですが、かつて娘とここで1枚コインを投げたのが効いたようで再びこの地を訪れることができました。



ローマ観光でははずせないスポットなので、大勢の観光客で埋め尽くされています。前列の人はコインが当たりそうです。



コインを投げた後は、そばのジェラート屋さんでジェラートを買い求めました。



トレビの泉でコインを投げたら、ここでジェラートを食べるというのがお決まりのコースなのか、店内は人で溢れていました。

ジェラートを食べたあとは、オードリー・ヘップバーン主演の「ローマの休日」で有名なスペイン広場に向かいました。



映画ではオードリー・ヘップバーン扮する王女様が階段に腰掛けジェラートを食べていましたが、この日は空きスペースが見当たらないほど観光客でいっぱいでした。



階段上から下を見下ろすとこの通りの人・人・人・・・。



自由時間が少しあったので広場からまっすぐテヴェレ川方面に向かって歩きました。道の両側はブランドショップです。この時期ローマ市民は夏のバカンスに出かけているらしく、行き交う人はほとんどが観光客だということです。



テヴェレ川です。橋の向こうに荘厳な建物が見えました。翌日見学予定のヴァチカン市国です。橋を渡ってみる時間がなかったので集合場所であるスペイン広場にもどることにしました。8月末だというのに猛暑で苦しみましたが、足下の落ち葉をみると、秋が近づいてきていることがわかりました。



イタリア旅行も残すところ1日となり、何だか急に寂しさが募ってきました。

2011年9月18日日曜日

三連休

三連休初日は姪の高校の文化祭、今日はマリオットアソシアホテルで家族でランチでした。お休みも残すところあと一日です。明日は家でゆっくり過ごす予定です。

ランチを楽しんだ「華雲」は、日本料理のお店で四季折々の味を楽しむことができます。お値段も高いので頻繁には行けませんが、特別の日の会食には最適です。

ゆったりとした時間を過ごすことができました。

2011年9月17日土曜日

高校の文化祭に行ってきました

姪の高校の文化祭に行ってきました。

女子高校生のパワーに圧倒されました。

人生で一番勢いのある時期なのでしょう。伸びやかに、そして楽しそうに高校生活をおくっている様子が想像できました。

ステージで熱いダンスを披露していた3人の女生徒は、本当にかっこよくて惚れ惚れしました。

演技終了後、クラスメイトや友人たちと一緒に写真撮影をしていました。

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高校生とは思えないほど大人っぽくて、多分、同年齢の男子はその迫力に押されて、話しかけることもできず、遠くからそっと見つめるだけといった感じでした。

「若いって素晴らしい」という昔の歌がありましたが、同感です。

2011年9月16日金曜日

イタリア旅行 ローマ

イタリア旅行5日目の午後、ローマに着きました。

オルビエートからローマまではのんびりとした景色が続いていましたが、ローマ市街に入ると景色は一変しました。



いきなりこんな素敵な建物が現われました。イタリア国旗の横にたなびいている青地に金色の星が描かれた旗は欧州旗だそうです。ローマの都市の旗かなと思いましたが、違いました。欧州旗は欧州連合のみならず、広くヨーロッパを代表するシンボルとして扱われているそうです。



街並みにイタリア国旗、欧州旗がしっかり溶け込んでいます。アジア諸国がひとつの旗を掲げ、連帯意識をもつことは考えにくいことです。旗の地の色を決める段階で揉めそうです。



バスで中心部に向かうと歴史を感じさせる建造物や遺跡が街の景色の中に普通に存在しています。



城壁もあたりの建物の一部のように見えます。



ぼんやりしている暇はありません。



世界史の教科書にでてきたコロッセオです。ローマ帝国時代はここで人間と猛獣との熱い闘いが繰り広げられたのでしょう。よくよく考えてみれば悪趣味な見世物ですね。無数にある穴は、補修の時の足場用だそうです。しっかり考えて作られています。



コロッセオの前にはこんな衣装に身を包んだローマの戦士がいました。一緒に写真を撮ると料金が請求されるようです。



コンスタンティヌス帝の凱旋門です。わが国は弥生時代でこんな建築技術はまだまだ先のことです。歴史や文化の違いが感じられます。

2011年9月15日木曜日

赤と黒 最終話

「赤と黒」の最終話を見ました。

韓国ドラマのラスト5分は衝撃を受けることが多いのですが、この「赤と黒」もしかりでした。

「悲しき恋歌」でも主人公のクォン・サンウとヒロインがようやく結ばれて幸福の絶頂にいた二人が、その直後にクォン・サンウが銃で撃たれ悲劇的なラストでした。

視聴者の気持ちをわしづかみにしておいて、潔いというか、情け容赦がないというか、見る者を呆然とさせるラストにしてしまいます。

「赤と黒」の登場人物の中で、誰一人として幸せになった人はいません。

ドラマの中の愛憎劇に全く関係がなかったヒロインの妹でさえ、心に大きな陰を落とすことになってしまいます。

「赤と黒」字幕版は今日で終わりですが、吹き替え版がBSプレミアムで10月17日から放送されるようです。

このドラマの中で重要な役どころのキム・ヘオクさんには驚かされました。「キッー」とか「キャー」とかすごい金切り声をあげられます。日本の女優さんからあんな声を聞いたことがないですね。


怖いものみたさに吹き替え版もみてしまいそうです。キム・ヘオクさんの吹き替えはどなたがやるのか楽しみです。キム・ヘオクさんの絶叫にはかなわないと思います。

2011年9月14日水曜日

「ミニミニ大作戦」と「ツーリスト」を見ました

イタリア旅行から半月程たったのですが、まだまだイタリア熱がさめやらぬわが家は、イタリアが登場してくる映画「ミニミニ大作戦」と「ツーリスト」を立て続けに見ました。

「ミニミニ大作戦」はベネチアを舞台に繰り広げられる窃盗団の話です。難攻不落の金庫に眠る50億円の金塊を奪って、ベネチアのあの静かな運河をモーターボートで逃げ回ります。追いかける警察もまたボートです。その激しいカーチェイスのせいでこれ以降ベネチアでの映画撮影が一切禁止されてしまう事態になったのだとか。

今日は、ジョニー・デップとアンジェリーナ・ジョリー主演の「ツーリスト」を見ました。


この作品もまたベネチアを舞台にしたサスペンス映画です。

今日は半分だけ見たのですが、あのベネチアの街並みがたくさん出てきて大満足でした。

主人公たちが宿泊する運河の脇にたつ最高級ホテル「ダ二エリ・ホテル」は豪華絢爛でした。旅行前にこの映画を見ていたら必ずこの目で確認し、写真を撮ってきたと思います。残念!

2011年9月13日火曜日

イタリア旅行 オルビエート観光

イタリア旅行も後半に入り、5日目はローマに向かいました。

途中、オルビエートという小さな街に寄ることになっていました。

初めて聞くその街は、「平野にぽっこりと盛り上がった丘にある城砦都市」と日程表に書かれていました。

帰国後、いろいろ調べてみると、「世界一美しい丘上都市」と呼ばれていることがわかりました。オルビエート駅からは、フニクラと呼ばれる登山列車で行きます。「フニクリ・フニクラ」という歌がありますが、あのフニクラです。



フニクラです。観光客がいっぱい乗り込みました。



降りてからはバスで旧市街まで行きます。



城壁の中にはいると見事なドゥオモがありました。建築物の正面(デザイン)をファザードというらしいのですが、このオルビエートのドゥオモのファザードは本当に美しいです。こんなこじんまりとした街にこんな素晴らしいドゥオモがあるなんて、さすがイタリアです。



ちょうど結婚式が行われていて、内部の様子をみることができました。



ドゥオモから街の中心部に歩いて行くと、そこはまるで中世の街のようです。陶器の可愛らしいお店がたくさん並んでいます。



石造りの街並みが続いています。小径を散歩したくなりました。



イタリアの観光と言えば、ローマやベネチア、そして「ナポリを見て死ね」のナポリなどが有名どころですが、この小さな天空の街オルビエートは知る人ぞ知る素晴らしい街です。

旅行の日程表にオルビエート観光2時間と書かれているのを見たとき、フィレンツェからローマに一気に向かうのは大変だから、中間地点で休憩をかねて立ち寄るのだとあまり期待していませんでした。予想に反して、とても美しい街でした。

今回のイタリア旅行でのお気に入りスポットの上位に位置すると思います。